私がゾンビ映画を愛する4つの理由
最近映画だけでなく、ウォーキングデッドのようにドラマのレベルでもゾンビシリーズは何シーズンも続くほど海外ではとても人気のあるジャンルです。
アメリカでは大きなジャンルの一つである「ゾンビ」
一方、日本ではあまり馴染みのない(むしろ敬遠される?)分野ですが、地味にファンはいっぱいいます。
今日は私がなぜゾンビ映画に魅せられるのかについてその理由を紹介しようと思います。
①非日常の体験であるから
普段サラリーマンとして生活している中で、日本に住んでいればまず命の心配というものはないですし、突然襲われることがありません。
一方で人間はどこかでスリルを求めており、あえてアドレナリンが出るものを求めて高い所へ行ったり、スピードが出る乗り物に乗ったりします。
私にとってゾンビ映画というものは通常の日常に刺激を与えるスパイスなのです。
朝から晩まで働いている中で、家に帰ると別の人はゾンビワールドで朝から晩まで逃げ続けている人がいる。それを見ると明日からまた頑張ろうという気になるのです。
②知り合いがある日襲ってくるという皮肉
ゾンビ映画のお決まりといえば噛まれるとその人もゾンビになってしまい人を襲ってしまうことです。
彼らは決してうまれたときから化け物なのではなく、もともとは人間で突然変異してしまったのです。
往々にして10人登場人物がいれば8人はゾンビになり、主人公を襲います。
ある日突然隣の人が自分を襲ってくるというシュールな皮肉がゾンビ映画にはあります。
自分の大切な人がゾンビになってしまったらあなたはどうしますか?一瞬迷ったあなた、次の瞬間には噛まれていますのでご注意を。
③はじまりも終わりもない物語
ゾンビ映画のほとんどははじまりと終わりがありません。
なぜゾンビが現れたか?どうやってゾンビを絶滅させるか?ということをいちいち説明する映画はないでしょう(あっても非常につまらないでしょう)
少し話は変わりますが、あなたはRPGゲームでラスボスをいつまでも倒さず自由に世界を回り続けたことはありませんか?なんだかラスボスを倒すとゲームが終わってしまうことがとても悲しくていつまでも全クリしないことはありませんか?
私もその口でゾンビ映画もその口です。
例えばある建物から脱出することが目的だったり、ある町からの脱出が目的だったり、結局何も変わらずある一部分だけが抜き取られていることがゾンビ映画の特徴です。
つまり私からすればすべてのゾンビ映画は第三世界でつながっていて、それぞれの国のそれぞれの時間軸でいろいろな人が体験していることを切り取っているにすぎないということです。
これはなんともわくわくする壮大な話です。
④あまりに中身のない話
ゾンビ映画の多くに意味はありません。ゾンビが生まれたソースも不明ですし、治そうとする人間は100%死にます。
この点で頭をからっぽにして見ることができます。
なぜなら目的はただ一つ、生き残ることだからです。みんなそれに必死で、見ている側も一緒になって汗をかきます。(冷や汗ですがw)
でも生きることは本能なので頭を使う必要はありません。ゾンビ映画の世界には黒幕もいないし、だれかが得をして損をするような資本主義のような難しいシーソーゲームもありません。あるのは力と運こそが正義の平等な世界です。
そんな頭をからっぽにして見れる映画といえばゾンビ映画をおいてありません。
いかがでしたか。ゾンビ映画を愛する理由を4つあげましたが、まだまだあるような気がしますのでまた、それは次回に書きたいと思います。